体の大きな大人の男が、ぬいぐるみを持って寝ているなんていう姿を、多くの人は見たことがないし、できれば想像したくないと思われるかもしれません。紺色のボタンで作られた目は何度もはがれ、つけ直され、コーヒーや醤油がおなかについて、オリジナルのクリーム色から茶色に変わっています。中のワタも何度か私自身によって入れ直されたのですが、いびつで、今でも手足は痩せこけ、顔面の上だけがパンパンに張り出しているといった具合です。このシャビーと名づけられた恐竜に似たぬいぐるみは、かつて母がかぎ針で作ってくれたものですが、クリスマスにもらった時のことを私はとてもよく覚えています。父は単身赴任で別の県に暮らしていて母は夜の仕事をしていたので、子どもの寝床にサンタクロースから贈られてから、布団の中の遊び相手として離れられない友人となりました。
小学校・中学校を通じて活発だった私は、文化系体育系のありとあらゆるクラブ活動から引っ張りだこで、家に帰るとへとへと…という生活をしていました。母は夕方仕事を始めるので、私が、放課後まず合唱団で数時間歌った後、陸上の高跳びやリレーや水泳の練習にも付き合うというような生活をして帰ってくると、顔を合わせる暇もありませんでした。それでも、私たちは家族内で絶対的な信頼感を持っていましたし、今でもその関係が続いています。
私は今や四十五歳のおじさんです。先日、両親が結婚五十周年で、その金婚式をお祝いするため、子どものころ暮らしていた町を一緒に訪ねました。体の不自由になった両親にも、悪夢で寝付けない私とシャビーにも、お互いの配慮が自然に行き届くような関係が続いています。
しかし子どもの頃、両親や兄に、自分が学校で先生からいじめられているということを言う機会はありませんでした。兄はワイルドな人で、学校から帰ってくるとすぐに釣りやゲームセンターへ出かけて行ってしまうし、私は私の活躍が周囲から良いうわさとして両親に伝わっていくのが一番大事なことだと考えていました。また、その通りに実現するよう努めていました。しかし私にはいくつかの問題がありました。そしてその時のさまざまな状況の組み合わせで、私は自分のことを言い出せないでいました。
私が最も苦労をして、結局故郷はおろか故国まで去らなければならなかった理由は、私がゲイ(同性愛者)だったということです。昔から男の子も女の子も境目なく私は遊んでいましたが、どちらかというと女の子と意気投合することが多く、お昼休みや業間時間には楽器のリコーダーを持って一緒に合奏したり、手紙や詩を書いて交換するというような遊びに夢中になっていました。男の子とお医者さんごっこなどをすると、むしろその男の子を好きになって真っ赤になったりしたのがバレバレだったので、距離を置かれていました。特に男性の先生が授業をしてくれるようなときは、机から立ち上がることができなかったほど、いつも硬直していました。しかし私は、女の子っぽい話し方も歩き方もしていないと、つい最近まで自分では思っていました。先日の両親の金婚式の旅で兄から聞いたことによると「ほとんど『問題なかった』けど、ときどき出てたよ」とのこと、そのときどき出てた部分が先生の目に触ったのだと思います。
静かな島根県の学校で、比較的目立つ存在の私を、先生がたは部分的に男らしく矯正したいという思いがあったのだと思います。私は廊下を歩くたびに何かを言われました。ところが、例えば「『きをつけ』して歩け」と言われ試しても「指先が反りかえるのでおかしい」とか、「今日からガニ股だけで歩いてみなさい」などと、その矯正は日に日に強くなっていきました。「『きをつけ』がダメならちょっと猫背ぐらいで…」などとも言われ、要するに先生が各々に気づいた点を直していかれたのです。今でもその学校には同じ伝統が残っていると思いますが、先生は朝礼担当というのがあり、昇降口に立って、「おはようございます」と登校してくる子どもたちと会話をします。当時の私にはその朝礼担当が男性の先生で、それを目にするとすぐに下腹部が反応する癖があり、それがいやで、いつももぞもぞとズボンの中に手を突っ込んでいる始末でした。それを不快に思われた先生がある日からずっと昇降口で私のことを待って、歩行訓練をするようになったのです。
さて、ちょうど「『きをつけ』をして歩いてみろ」と言われた頃、クリスマスに、ぬいぐるみのシャビーが私の枕元に現れました。私はシャビーに話しかけるなどというようなことはしたことがありませんが、この変な顔をしたぬいぐるみを見ると、何となく自分は一人じゃないはずだという気がして、地獄のような小学校高学年期を乗り越えることができました。興味深いのは、当時の私のことを覚えている同級生は、中村君はなんでも上手にできる優秀な子どもだったね…というような印象を持っていることです。両親が忙しくて、良いうわさを聞かせたいという思いだけで生活していた私の目論見は、無事に達成されていたのです。ところが、ある日中学校へ進学すると、そこでも昇降口で私を待っている女の先生がいて、私の喋り方が丁寧すぎるので、乱暴な話し方の練習や歩き方の練習をさせられる生活が始まったのです。先生がたが熱心に注意されることへの私の関心は低いものでした。注意する先生がみんな違うことを言うので、客観的に見ても説得力に欠けていたからです。中学生時代に教わったこと、同級生の名前や顔を思い出せないということに気づいたのはずっと後になってから、同窓会などの便りが送られてくる頃になってからで、それがのちに明かされる心の傷と関わっているとは思ってもしませんでした。
私は、高校の途中からいよいよ学校へ行くことができず、近くの公園や公共図書館で時間をつぶすことを始めました。この不登校の直前、私は大量の睡眠薬を口に入れ自死企図をし、教室の中で倒れてしまいました。この頃から私のうつ病歴が始まり、私はとうとう抗うつ剤を手放せない人生を歩むことになりました。もちろん、抗うつ剤の服用が特に長期的な健康的問題を及ぼさないかと不安になり、何度もやめようとがあります。その度にうつ病がぶり返したので、薬との生活を受け入れるようになりました。高校生の私は、中学生までの活発さが息をひそめ、シャビーと一緒に本ばかり読んでいる人間になりました。シャビーは、コナン・ドイルやミヒャエル・エンデなどの描く世界を体の中に取り入れ、不思議な発達をしていくことになりました。
シャビーは私とともに旅に出ました。私のスーツケースの中にはいつもシャビーがペコペコにつぶされて入っていて、鞄を開けると顔を覗かせます。東京で就職するようになってから出会ったボーイフレンドたちは、寝室に変な怪物が現れると大笑いしました。私たちの寝るベッドの中にも入ってくるので余計にです。シャビーはそんなことは構わないようで、どんな国のどんな環境でも検閲を受けることもなく私とともに旅をしましたが…。
日本で働いていたころ、私はやはり性的指向が理由で仕事を二つも失いました。一つは毎夜毎夜お客さんを連れて、美しい女性が裸同然でお酒をお酌してくれるようなお店へ連れて行き、それが取材費ではなく、自腹で出さなければならなかったことが原因です。「私はゲイなので、自分からそんなところへ行きたくないんです。(労働組合の)組員から仕事の実情を聞くために、腹を割って語ってもらえる雰囲気が必要だけなんです」と言う理由は関係ないと言われました。すでに激しく出始めていた体全体のチック症のために毎日買い替えなければならなかった靴代に合わせ、その取材費の自腹分で、生活していけなくなったのです。二つ目に失った仕事は島根県に帰郷して得た教育委員会内の仕事です。「人権擁護週間に子どもたちにLGBTIQのことも知ってもらいたい」、「私はゲイなので、私のボーイフレンドも紹介してもいい」と言ったところ、教育長から「あなたは今この町にとって良いことをしているつもりかもしれませんが、むしろ悪いことをしようとしているんですよ」と諭されました。私はその小さな町の人からのみか、子どもからも完全に無視をされるようになり、雇用の延長もされなくなったのです。
踏んだり蹴ったりの日本の生活を得て、私は現在、同性のパートナーと結婚し、オランダで暮らしています。すでに十年以上も幸せな生活をしているのですが、オランダ語という難しい言葉を覚えなければならなかったり、看護師になるための勉強につまずいてばかりで、なかなか思うように行かないこともありました。「どうして、新しい国に来てまでうまくいかないのでしょうか?」と臨床心理士に尋ねたところ、いくつかの私の性格の傾向が示され診断も下りました。私は子どもの頃から、様々なことに興味を持っていわけですが、それを戦略的に使おうとするADHD(注意欠陥・多動性障害)が一つ目。思いついたら一直線に実行して、成果を出そうとする…そのために多くの小さなミスを繰り返す傾向が私にはいくつもありました。その時にすでにつまずいていた学習の失敗談からもあてはめられた診断です。もう一つは、子どもの頃から受けたいじめが心の傷が現在も社会活動のバリアとなっているPTSD(心的外傷後ストレス障害)の特徴です。
いま私は、これらの障害の緩和のためにEMDR(眼球運動による脱感作および再処理法)を含めたさまざまな生活訓練を長年にわたって受けています。面白いのは、ここでもぬいぐるみのシャビーが登場してくることです。生活訓練の先生に、シャビーというぬいぐるみと今でも寝ていると話をしたところ、その子を連れてきてちょうだいと言われました。どうしたものかと連れて行くと、シャビーこそあなたの生活の中心に持ってきていいという、面白い見解を出してくださったのです。例えば、突然思い出されるいじめの記憶で、数日間眠れないようなことがPTSDの患者にはあります。また、過去に直接関係する経験でもないのに、汗だくになって立ち上がれないことも…。そんな時、私の不快な思いや痛みを一手に引き取ってくれるのが、このシャビーというわけです。
シャビーが私の苦い経験そのものとして乗り移り、つまり悪の権化になります。そして、その汚いかたまりを、蹴とばしたり押入れの中へ閉じ込めたりするところから訓練が始まりました。何か月後、悪の権化となったそのシャビーが本棚の上に居座っても良いようになりました。私は先生に「これからこの子はどうなるのでしょうか?」と聞いてみました。先生が「今、何か支障がある?」と言われハッとしました。なるほど悪の権化と生活をともにし、茶化しあうのもそんなに悪くないと思うようになったのです。シャビーは今再び、僕と一緒にベッドの中で寝ています。つまり、僕は悪の権化と一緒に寝ているということです。後日談で聞いたところによると、これはマインドフルネスという練習の典型的な方法なのだと教わりました。今でも私は多くの悪夢を見ます。でも、翌朝、悪魔となったシャビーが、愛らしい目つきで私を見ているとき、そういうことも含まれての世界だよな…と思うのです。そしてまた、シャビーと私の冒険も続いていくのだと確信することが増えてきました。
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